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七八  イエズスは聖母を天にあげられた



 前にお話ししたように、イエズスさまは十字架につけられたとき、おそばにいた使徒ヨハネに、マリアさまをさして、「このかたはあなたの母だ」とおっしゃいました。その時から、ヨハネはマリアさまをひきとってお仕えしました。

 やがて何年かののちマリアさまは、使徒たちに見守られて、静かに亡くなられましたが、そのおんからだも、ご霊魂とともに天にあげられ、天国ですべての天使と聖人の上に、イエズスさまのおそばにおられることになりました。


一 毎年八月十五日には、マリアさまが天にあげられたことを記念するために、聖母被昇天の大祝日を祝います。この日はマリアさまのいちばん大きなお祝い日です。


 ロザリオ 栄えの玄義 第四玄義


 「この一連を献げて、マリアさまが霊魂もからだも天にあげられたことを思い、マリアさまのおん取り次ぎで、私たちも、罪のよごれなくこの世を終れるようにお願いしましょう。」

 マリアさまは、イエズスさまのおなくなりになったあと、しばらく使徒ヨハネの所でお暮らしになりましたが、のちにこの世を去られたときは、霊魂も肉体も天にあげられました。私たちも、マリアさまのように、幸いな臨終をとげることができるよう、いつも祈らなければなりません。

 マリアさま。どうぞ私のために、よい臨終のお恵みをお祈りください。

 ロザリオ 栄えの玄義 第五玄義


 「この一連を献げて、マリアさまが、すべての天使と人間の上にあげられたことを思い、マリアさまのおん取り次ぎで、私にも、永遠の幸福の冠がいただけるように、お願いしましょう」


 マリアさまは天国でも、すべての天使聖人たちの上に立つ一番尊いおかたとして、イエズスさまから、大きな幸福をいただきました。そして私たちの事をも忘れることなく、天のお母さまとして、いつも守っていてくださるのです。


二 ロザリオの栄えの玄義を祈るときは、イエズスさまとマリアさまのみさかえを思い起こします。


三 ロザリオ 栄えの玄義 (公教会祈祷文 137ページ)

第一玄義

 この一連を献げて、主の復活したまいたるを黙想し、聖母のおん取り次ぎによりて、信仰の徳をこい願わん。

第二玄義  

 この一連を献げて、主の昇天したまいたるを黙想し、聖母のおん取り次ぎによりて、天国の福楽を深く望む徳をこい願わん。

第三玄義

 この一連を献げて、聖霊の降臨したまいたるを黙想し、聖母のおん取り次ぎによりて、聖霊の賜ものをこい願わん。

第四玄義

 この一連を献げて、聖母の被昇天を黙想し、そのおん取り次ぎによりて、よき終わりをとぐるおん恵みをこい願わん。

第五玄義  

 この一連を献げて、聖母が天使と人類との元后に立てられたまいしを黙想し、そのおん取り次ぎによりて、永福の冠をこい願わん。


四 聖歌  公教聖歌集  376  しのはりよ


  
めでたし (天使祝詞)


一 天の元后マリアさまをたたえるために、「めでたし」をとなえましょう。


二 「めでたし」は天使祝詞といい、つぎのような意味があります。


1 「
めでたし、聖寵みちみてるマリア

 マリアさま、私は、神さまのお恵みに満ちあふれたあなたに、おめでとうとごあいさつします。

2 「
主、おんみと共にまします

 神さまはいつもあなたのそばにおられ、あなたを愛し、守っておいでになります。

3 「
おんみは女のうちにて祝せられ

 あなたは、すべての女のうちで、一番大きい祝福をいただいたかたです。

4 「
ご胎内のおん子イエズスも祝せられたもう

 あなたのおなかの中におられるイエズスさまは、神さまとして、いちばん祝福されたおかたです。

5 「
天主のおん母、聖マリア

 尊い神さまのお母さまであられるマリアさま。

6 「
罪びとなるわれらのために、今も臨終のときも祈りたまえ。

 私たちは罪人ですから、お祈りは神さまにとどかないかも知れません。しかし、あなたが取り次いでいただけばだいじょうぶですから、どうぞ私たちが、罪の赦しとお恵みをいただいて、死んでから天国へ行けるように、お祈りください。

7 「
アーメン

 どうぞ、そのようにしてください。


 
カトリック教会


 衆議所の役人やユダヤ人のおもだった人たちは、いつまでもキリスト信者を迫害することをやめませんでした。そのうちに、とうとう、エルサレムに残った使徒ヤコボをとらえ、神殿の屋根の上からつき落として殺したので、イエズスさまの親戚にあたるシメオンという人が、そのあとをつぎました。

 いっぽうローマでも、キリスト信者はひどい迫害を受け、残酷で有名だったネロという皇帝は、ペトロをとらえてさかさまに十字架につけて殺しました。そのあとは、リヌスという人がペトロのあとをつぎ、ローマの司教、またカトリック教会のかしらになりましたが、リヌスものちにローマ人にとらえられて殉教しました。また、イエズスさまの使徒たちも、使徒聖ヨハネを除くほか、みな、自分の布教した国々で殉教しましたが、どんなにひどい迫害を受けても、キリスト信者の数は、ぞくぞくふえるいっぽうでした。

 まえにものべたように、使徒のなくなったあとは司教がかかわってその教会を治め。司教は司祭を選んで、仕事を助けさせました。ローマの司教も、聖ペトロから今まで代々続き、世界中のキリスト信者の父、カトリック教会のかしらとして、教会をつかさどっています。


一 使徒聖ペトロのあとつぎはどなたですか?

 使徒聖ペトロのあとつぎはローマの司教さまで、ふつうパパさままたは教皇さまとも言いますし、教会以外のひとはローマ法王ということもあります。今の教皇さまはヨハネ・パウロ2世というお名前です。



教皇ヨハネ・パウロ2世聖下



二 使徒のあとつぎはどなたですか?

 使徒のあとつぎは司教さまです。教区長というのは、司教さまではありませんが、教皇さまに代わって、教区を治めるかたです。自分の教区の司教さまはどういうお名前か、司教さま(または教区長さま)はどこにおいでになるか、信者はみな知っていなければなりません。


三 司教を助け司教さまに代わって信者を導く人は司祭、とくに教会の主任神父さまです。


四 カトリック教会というのは、どういう団体ですか?


五 
カトリック教会というのは、イエズスさまの、この世における代理者である教皇さまをかしらとした、司教、司祭、修道者、信者の団体です。カトリック教会はまた、公教会、聖会などといいます。


六 カトリック教会のすべての人を、カトリック信者といいます。つまり、カトリック教会の教えることを信じ、秘跡を受け、教皇さまの指導に従う人は、みなカトリック信者です。


七 カトリック教会をたてたのはどなたですか?

 
カトリック教会をたてたかたは、救い主イエズス・キリストです。イエズスさまは、ただ一つの教会しかおたてになりませんでした。ですから、まことのキリスト教会はただ一つしかありません。それがカトリック教会です。


八 イエズスさまは、なんのために教会をおたてになったのですか?

 
イエズスさまが教会をおたてになったのは、あらゆる時代のすべての人が、永遠に救われるためでした。


九 使徒信経の第九条には「
聖なる公教会(を信ず)」とあります。これは、「イエズスさまがおたてになったカトリック教会を信ずる」ということです。


十 「
願わくは主の聖なる公教会を治め、かつ保ちたまわんことを」 (公教会祈祷文 175ページ 諸聖人の連祷から)


十一  聖歌    公教聖歌集  31  ほめよたたえよ


 
使徒信経 


一 カトリック教会のおもな教えを、かんたんにまとめたものが使徒信経です。使徒信経には、カトリック信者として信じなければならない十二の信仰箇条がかいてあります。使徒信経をラテン語でとなえるときは「クレド」(私は信ずる)ということばで始まりますから「クレド」とも言います。

1 
われは、天地の創造主全能の父なる天主を信じ

 私は、まことの神さまはただおひとりであること、その神さまはなんでもおできになること、天地とそのすべてをお造りになったこと、また、私たち人間の天のおん父であることを信じます。

2 
またそのおんひとり子、われらの主、イエズス・キリスト、

 また、その神のおんひとり子であり、同じ神さまであり、私たちの主であられるイエズス・キリストを信じます。

3 
すなわち聖霊によりて宿り童貞マリアより生まれ、

 そのイエズスさまは、聖霊によって童貞マリアさまのからだに宿られ、ベトレヘムで、貧しい人の子としてお生まれになりました。

4 
ポンシオ・ピラトの管下にて苦しみを受け、十字架につけられ、死して葬られ、

 それから、ローマ人ポンシオ・ピラトがユダヤの総督だった時に、ユダヤで暮らされ、私たちの救いのために、さまざまの苦しみをお受けになったあと、ユダヤ人のために十字架にくぎづけにされ、殺されて墓に葬られました。

5 
古聖所にくだりて三日目に、死者のうちよりよみがえり、

 そのとき、イエズスさまの霊魂は、古聖所におくだりになり、世の始めからそこに眠っていた義人の霊魂に救いをお告げになり、なくなられてから三日目に、ご自分の力で復活なさいました。

6 
天に昇りて全能の父なる天主の右に座し、

 イエズスさまは、ご復活後四十日目に、弟子たちの目の前で天にお昇りになり、おん父のそばにすわられて、おん父と同じ最上の権利と光栄とをおもちになりました。

7 
かしこより、生ける人と死せる人とをさばかんためにきたりたもう主を信じたてまつる。

 そのイエズスさまは、世の終わりに、すべての人、もう死んでいる人もまだ生きている人をも全部審判して、善人は天国へ入れ、悪人は地獄へ落とすために、また、光栄をもって、天からこの世へおくだりになります。

8 
われは、聖霊

 私は、聖霊も、おん父とおん子と同じただ一つの神さまであることを信じます。

9 
聖なる公教会

 私は、カトリック教会だけが、イエズスさまのおたてになった、ただ一つの本当の教会であることを信じます。

10
諸聖人の通功

 私は、いまこの世に生きている信者と、天国にいる聖人がたと、また、煉獄で苦しんでいる霊魂は、みな同じからだの部分であり、祈りや善業で助け合うことができると信じます。

11
罪の赦し、


 私は、カトリック教会の教皇さま、司教さま、それに神父さまは、イエズスさまから、人間の罪を赦す権利を授かっていることを信じます。

12
肉身のよみがえり

 私は終わりの日に、からだも復活することを信じます。

13
終わりなき命を信じたてまつる。

 私たちの霊魂は、死んだのちも滅びることがなく、善人は天国で終わりない幸福を受け、悪人は地獄で終わりない苦しみを受けることを信じます。

14
アーメン。

 そうです。私は今のべたことを、固く信じます。


 
公教会の六つのおきて (公教会祈祷文 9ページ)

一 教皇さまと司教さまは、信者を導くために、あるおきてをきめる権利をイエズスさまからいただいています。それで私たちは、教会できめられたおきても、イエズスさまや使徒たちのきめたのと同じように考えて、それに従わなければなりません。そのうちの一番大切なおきてはつぎの六つで、これを公教会のおきてといいます。


二 日本では、公教会のおきては六つに分けられています。

第一 主日と守るべき祝日を聖とし、ミサ聖祭にあずかるべし。

第二 少なくとも年に一度は、必ず告白すべし。

第三 少なくとも年に一度は、ご復活祭のころに御聖体を受くべし。

第四 定められたる期日には大斉を守るべし


 大斉とは、一日に一度だけ食事をすることで、小さい子供と年寄りはゆるされていますが、そのかわりに、おやつをがまんしたり、何かしたいことをがまんしてみたりするのはよいことです。

第五 定められたる期日には小斉を守るべし。

 小斉は毎金曜日にしましたが、今は年に二度大斉とともにします。小斉はなくなっても償いの義務はのこります。ご死去の日ですから、それを思って何かをがまんします。

第六 おのおの分に応じて、教会維持費を負担すべし。

 働いて収入のある大人は、収入や財産に応じて、教会に献金しなければなりません。これが教会維持費です。子供でも毎月のおこずかいを倹約して少しでも献金するのは、たいへんよいことです。教会維持費は、教会の仕事を続けてゆくために、特に布教のためや貧しい人たちを助けるために使われます。こういう献金はみな、イエズスさまのために献げられるものです。


 
諸聖人の通功


 よい信者で成聖の恩恵をもち、罪のよごれをすっかり洗い清め、償いを全部すませた人は、みな天国に入っています。天国に入っている人はみな聖人ですが、教会はそのうちでも、生きているうちから特別に神さまのみむねにかない、人々の模範となり、多くのしるしを現した人を、特に聖人として尊敬します。こういう聖人のうちでも、特にマリアさまとヨゼフさま、それに、自分の霊名の聖人を敬い、親しくしなければなりません。聖人がたもまた、いつも天国で、私たちのために、祈っていてくださいます。

 生きている間に犯した罪が全部赦されていてもその償いを果たしていなければ、それがすむまでは、死んでからも煉獄にいなければなりません。こういう霊魂は、「早く天国へ行きたい。生きている間に罪の償いをしておけばよかった」と後悔し苦しんでいますから、「煉獄の哀れむべき霊魂」といいます。煉獄の霊魂は、もう自分からは自分の罪の償いのために、何もすることはできません。それで私たちは煉獄の霊魂のためにお祈りをしたり、犠牲をしたり、特におミサを献げて、早く天国に行けるよう、助けてあげることができます。

 このように私たちは、決してひとりだけでこの世にいるのではありません。ちょうどからだのどこかの部分のように、みな繋がりあっているので、天国の聖人に助けられ、また煉獄の気の毒な霊魂を助けてあげることができるのです。このことを、諸聖人の通功といいます。


一 諸聖人の通功に加わっているのはどういう人ですか?

 
諸聖人の通功に加わっているのは、 1 この世に生きているキリスト信者、 2 天国にいる聖人、 3 煉獄にいる霊魂です。


二 十一月一日には諸聖人の大祝日を祝います。この日は守るべき祝日で、天国にいるすべての聖人を記念する日です。


三 十一月二日は死者の日です。この日、信者は煉獄の霊魂のためによく祈り、またお墓まいりなどもします。


四 使徒信経第九条に、「
諸聖人の通功(を信ずる)とあります。


五 諸聖人の連祷の中に、つぎのような祈りがあります (公教会祈祷文 165ページ)

聖マリア、われらのために祈りたまえ。
聖ヨゼフ、われらのために祈りたまえ。
聖なるすべての使徒および福音史家、われらのために祈りたまえ。
聖なるすべての殉教者、われらのために祈りたまえ。
聖なるすべての司教および証聖者、われらのために祈りたまえ。
聖なるすべての博士、われらのために祈りたまえ。
聖なるすべての司祭および侍祭、われらのために祈りたまえ。
聖なるすべての修士および隠修士、われらのために祈りたまえ。
聖なるすべての童貞およびやもめ、われらのために祈りたまえ。
聖なるすべての聖人および聖女、われらのために祈りたまえ。



六 煉獄の霊魂のために、つぎのような短い祈りがあります。

 
「主よ。永遠の安息をかれらに与え、絶えざる光りをかれらの上に照らしたまえ、かれらの安らかに憩わんことを。アーメン。」


七 私たちは、自分の善業の功徳を煉獄の霊魂のために献げることができます。こうして、私たちの助けによって天国へ行くことの出来た霊魂は、きっと天国で、私たちのために、取り次いでくださるでしょう。


 
教会のこよみ 

一 教会は一年じゅうのこよみを定め、私たちが季節季節に従って、神さまの救いのみわざを思い、記念し、祝うことができるように、教会のこよみを定めました。これを教会暦、聖暦などといいます教会暦は毎年待降節から始まります。


二 教会暦のなかで、つぎの日は、主イエズスさまのおもな祝日で、守るべき祝日になっています。

1 わが主イエズス・キリストのご降誕の大祝日(クリスマス) 十二月二五日

2 わが主イエズス・キリストのご復活の大祝日  春分の日あとの最初の満月のつぎの日曜日

3 わが主ご昇天の大祝日  ご復活祭後四十日目の木曜日

4 聖霊ご降臨の大祝日  ご昇天祭後十日目、ご復活祭後五十日後の日曜日

5 三位一体の祝日   聖霊降臨祭のつぎの日曜日


三 マリアさまのおもな祝日はつぎのとおりです。

1 童貞マリア無原罪のおんやどりの祝日   十二月八日

2 聖マリア被昇天の大祝日   八月十五日 (守るべき祝日)

3 聖母のけがれなき御心 (天の元后聖マリアの祝日 八月二十二日、日本最上位の保護者)


四 そのほかのおもな聖人の祝日

1 聖マリアの浄配および全教会の保護者聖ヨゼフの大祝日  三月十九日

2 聖ペトロ・聖パウロ両使徒の祝日   六月二十九日

3 諸聖人の大祝日   十一月一日 (守るべき祝日)


五 あなたの霊名の聖人の祝日はいつですか?  
カトリックの聖人


 あなたを造られた主である神さまにつかえなさい (復習)

 神さまにつかえることは、人間として第一の、いちばんたいせつなつとめです。


一 私たちのからだも霊魂も、みな自分で造ったのではなく、神さまのみ手で造られたものです。ですから私たちは、全く神さまのものです。


二 神さまは、ご自分に似せて人間を造ってくださいました。そしてすべての人間が天国に入って、みもとに帰ることをお望みになります。それで私たちも、神さまのお望みに従ってみむねのとおりにしなければなりません。

 神さまは、まず、私たちが天主の十戒と公教会のおきてを守り、自分のつとめを果たすことをお望みになります。神さまのお望みどおり行う人が、本当のよい人であり、その行いは善業です。善業をすればこの世でもお恵みをいただき、死んだのちは、天国へ入ることができます。


三 自分のわがままに従って、神さまのみむねに従おうとしなければ、罪になります。罪には大罪と小罪があります。大罪は霊魂の死であり、大罪を犯した人は神さまから捨てられて地獄に行きます。小罪を犯した人は、地獄には落とされませんが、死んでから煉獄で苦しんで償いをはたさなければなりません。また、この世でもさまざまな不幸不安に陥ることがあります。小罪を重ねれば大罪に入り易くなります。


 神さまに仕えるのは、決して難しいことではありません。

四 神さまにつかえ、天国に入るのは決して難しいことではありません。それは、私たちは洗礼を受けたときに、神さまの命をいただいて神さまの子供となっており、私たちが天国に入るのに必要なお恵みは、願えば必ずくださるからです。そのためには、私たちはまず、天国に入りたいというよい望みを起こし、神さまに熱心に祈ってお願いし、おミサにあずかり、お説教をよく聞き、それを実行し、たびたび秘跡をいただくように心がけることが大事です。そうすれば神さまは、必ず、必要なお恵みをくださいます。

 私たちは祈らなければ、決して天国へは入れません。祈りは神さまとのお話です。お祈りの時は心を散らさず、礼儀正しく、謙遜に、忍耐をもって、願えば必ず与えられると信頼して祈らなければなりません。

 おミサの説教は、神さまのみことばを話してくださるもので、宗教の道と、よい生活をして罪をさけることをすすめられます。告解の秘跡を受ければ、イエズスさまが神父さまを通じて、罪を赦してくださいます。御聖体を拝領すれば、イエズスさまが私たちのうちに住んでくださって、悪いことを避けよいことをする力を与えてくださいます。堅信の秘跡を受ければ、聖霊とその七つの賜ものをいただいて、どんな時にも信仰を守りとおす勇気と力とを与えられます。また、死が近づいた時に終油の秘跡をいただけば、それまでに犯した罪を赦され、天国への旅に慰めと力を与えられるばかりでなく、時には苦しみが和らげられたり、または全く病気がなおることもあります。


 神さまは人間の善に報い、悪を罰せられます。


五 人間が死ねば、霊魂はからだから離れます。からだから離れた霊魂は、すぐに、自分が一生涯どのようにして暮らしてきたかについて、神さまの審判を受けます。これは私審判といいます。そして私審判の結果、天国か煉獄か、または地獄に行きます。

 やがて世の終わりには、イエズスさまがふたたびこの世においでになって、すべての人間を、死んだ人も生きている人も、みなみまえに呼んで審判をなさいます。これを公審判といいます。公審判の結果、悪人は非常に見苦しいからだになって終わりなく地獄で苦しみ、善人はご復活のイエズスさまのようなりっぱなからだになって、いつまでも天国で、想像もできないほどの幸福と喜びをいただきます。


六 私たちはいつも祈りましょう。

 「イエズスさま。何ごともみな、おぼしめしのままに」と。

 
イエズス・キリストは賛美せられたまえ、世々にいたるまで。アーメン。


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